Report Vol. 5

第5回:授業・ゼミに潜伏

せっかくの機会なので、デービス校の授業やゼミにも潜伏してみました。今回は、その様子をお伝えします。

■授業に潜伏■

3,4年生を対象としたコンピュータグラフィックスの授業に参加しました。

私自身も、3年生の秋学期の科目として、コンピュータグラフィックスを担当しています。 シラバスを見る限り、講義内容は非常に似ています。 また、参加したところ、受講者は30人程度で、これも私の講義の例年の受講者数と同等でした。
この講義を聴講しているときだけは、耳に入ってくる単語が私の知っている単語ばかりで、まるで自分の英語ヒアリング能力が向上したかのような錯覚に陥りました。

しかし、いくつかの点で、私が知っている日本での講義とは大きく違う点が見られました。それについて述べたいと思います。

● 意外と板書を写していない学生も多い。

ただし、これは履修態度が悪いというわけではありません。 むしろ板書を写していない学生こそ、しっかり先生の話を聞き、鋭い質問を先生に連発します。 ひょっとしたら、講義を受ける前に十分な予習をしているのではないかと思います。

学生の皆さんは、講義を受ける際に、板書を丁寧に写すことで精いっぱいになってないでしょうか? 手だけが動いていて、頭は動いていない、ということはないでしょうか?この機会に是非、考えてみてください。

一方でデービス校にも、板書のない講義(例えば講義資料がウェブで公開されている場合)はあるそうです。 ちなみに私も、講義資料をウェブで公開しています。
この形式に対する声は、さまざまです。 板書が無いほうが気持ちが集中できるのでよい、という学生もいれば、板書を写していないと眠くなる、という学生もいます。

私は「板書を写していないと眠くなるような講義は、未熟な講義だ」と考えることにしています。 今回デービス校で体験した講義の雰囲気を覚えておき、学生がより気持ちを集中できる講義を開けるよう、精進したいと思いました。

● 質問が活発である。

これはよく言われていることですね。ここの学生は講義内容について、とても活発に挙手して質問します。日本の大学の講義風景では考えられないことです。

学生の皆さん、日頃受講している講義は、気軽に挙手して質問できるような雰囲気でしょうか?もしそうでないとしたら、それは気軽に質問できるフランクな雰囲気をつくれていないという意味で、教員の能力不足なのかもしれません。

もし学生の皆さんが、そのことを不満に思うことがありましたら、ぜひ授業アンケートにコメントするなどして、教員に雰囲気つくりを促しましょう。

● 大学院生が代講している。

私が受講した日、本来の講師である教授が急用で大学に来られなくなったので、急きょ大学院生が講義を務めました。代役とは思えない、安定した講義ぶりでした。

大学院生の皆さん、もし急に、指導教員から「代わりに講義してくれ」と言われたら、引き受けられますか?そのような依頼に応えられるような、基礎知識と話術を、日頃から鍛えて下さい。
この段落は決して、「大学院生に代講させることを容認する」という主旨の段落ではありませんので、ご理解ください。


■ゼミに潜伏■

滞在中、Ma教授の研究室のゼミにも参加しています。

ゼミでは主に、持ち回りの学生が、そのとき勉強していること、あるいは研究の進捗を説明し、他の学生達がそれにコメントをつけていきます。

私が参加した1週目の、ある学生の発表内容は… 昨年の論文を紹介するというものでしたが、資料にはタイトルと概要を丸写しして、いくつかの画像例を貼り付けて、それだけ。
自分からの説明内容は、最低限の要旨だけ。あとは「このページどう思う?」「これはどうだ?」の問いかけの連続。
「こいつ手抜きか?」と一瞬でも思ってしまった私をお許しください…。

その担当学生は、それ以外は、ほとんど話しません。 なぜなら、勝手にいろんな学生が「俺はこう思う」「いや違う」と意見をかけ合っていて、 むしろ発表者のはずの担当学生が口を挟むタイミングを失うような状況になるからです。

こういう議論の中から、急に新しいものが生まれる、ということもきっとあるでしょう。 自分の研究室も、いま以上に、これと同じような議論が活発にできるよう、雰囲気をつくっていきたいものだと思います。

私が参加した最終週は、たまたま学生発表者がいなかったので、 Ma教授がいくつかの連絡と、メッセージを発していました。 そのメッセージの中のいくつかは、少なくとも私の研究分野では、日本の大学院生でも全く同様に心得るべきものだと思いますので、ここに列挙しておきたいと思います。

 

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